Party Syndromeの現場に踊る足跡の記録。
「己の欲せざるところ人に施すことなかれ」
自分がしてほしくないことを人にしてはいけない、というこの言葉は孔子に由来するという。
意味は多分そのままでいいだろう。
しかし、それだけで止めてしまうと、二通りほど問題が出てくる。
一つは、これを裏返して考えるとき、「自分がされてもかまわないことは人にしてもかまわない」という発想が生まれること。
これは曲解。
もう一つは、「自分は欲しないが他の人は誰も気にしない」という場面に気づかず、必要ないものまで避けてしまうこと。
これは……誤解?
以下、この言葉から自分が考えて、今なおモヤモヤしている話。
自分がしてほしくないことを人にしてはいけない、というこの言葉は孔子に由来するという。
意味は多分そのままでいいだろう。
しかし、それだけで止めてしまうと、二通りほど問題が出てくる。
一つは、これを裏返して考えるとき、「自分がされてもかまわないことは人にしてもかまわない」という発想が生まれること。
これは曲解。
もう一つは、「自分は欲しないが他の人は誰も気にしない」という場面に気づかず、必要ないものまで避けてしまうこと。
これは……誤解?
以下、この言葉から自分が考えて、今なおモヤモヤしている話。
前者が大きな問題になりうるのは言うまでもないが、今、自分が悩んでいるのはむしろ後者だ。
どうやら自分は「人の立場に立って考える」というのが思うほどうまくいっていないらしい、ということを最近強く実感した。
誰かの発言や行動が自分の考えとは違っているとき、その人がどうしてそういう言動をしたのか、考えても理解できなかった。
昔は分からないまま見逃していて、最近はいちいち心に突き刺さって自分を全否定されているように感じていて、
今はもう少し冷静に考えるようにしてるけど完全には解決していない。
いつも、何かがズレてる気がする、という感覚を覚えている。
意見や考え方の否定はあくまでこちらの意見や考え方に対する返答であり反論であって、
それを発言した人の人格や、その人がやっていること全部を、丸ごと否定するために言ってるんじゃない。
「意見」と「言った人自身」は別。
……と、言葉で書ける程度には知識を得た。理屈で考えて「こういうものなんだろう」とまとめることはできる(合ってるかは別として)。
前はそれさえも知らなかったんだから今はまだいい方なんだろう。
でも、未だに、感情がついてこない。
平易に言うと「しっくり来ない」。
だからちょっとでも自分に向かい風が来ると(たとえ微風でも)心が痛くなるのかな。
対処法はともかく原因は割とはっきりしている。
なんでも、自分は『自分と他人の境界があいまいなまま育ってしまった』人なのだという。
相手の言動の裏を読もうとしても、どうしても自分の経験や環境を下敷きにした想像しか出来なくて、「どうしてこうなの?自分ならこうはしないのに……」でつまずく。
相手が生きてきた人生は自分とまったく別物だという発想がない。知ってからもすぐには出てこなくて、後からじゃないと思い出せない。
自分の行動とその基点になっている自分の存在も、心の中では、うまく切り離せていないのかもしれない。だから意見への異議を自分への全否定ととらえているのだろう。
誰かのトラブルや不機嫌の原因をつい「自分のせい?」と考えることも原理は一緒らしい。
自分の行動と相手の事情を切り離して考えることが(意識しないと)できない、というあたり。
(何でも自分が悪いと言う人にも、否定される経験ばかり多かったとか、人のせいにして痛い目を見たとか、いろいろいるようですが。)
多くの人はそこまで安直にイコールで結ばないという。
他人には他人の事情があるし、経験も環境も好き嫌いも違うから、同じ事情を抱えていてもそれぞれが出す結論は違って当たり前。
だから自分の考えと違うことが起きても、ある程度は「そんなもんだろう」と受け流せるらしい。
普通は教えられなくても子どもの時から学習して、自然にそういう思考が身についてるもの……そう聞いたんですけど、本当ですか?
どうやら自分は「人の立場に立って考える」というのが思うほどうまくいっていないらしい、ということを最近強く実感した。
誰かの発言や行動が自分の考えとは違っているとき、その人がどうしてそういう言動をしたのか、考えても理解できなかった。
昔は分からないまま見逃していて、最近はいちいち心に突き刺さって自分を全否定されているように感じていて、
今はもう少し冷静に考えるようにしてるけど完全には解決していない。
いつも、何かがズレてる気がする、という感覚を覚えている。
意見や考え方の否定はあくまでこちらの意見や考え方に対する返答であり反論であって、
それを発言した人の人格や、その人がやっていること全部を、丸ごと否定するために言ってるんじゃない。
「意見」と「言った人自身」は別。
……と、言葉で書ける程度には知識を得た。理屈で考えて「こういうものなんだろう」とまとめることはできる(合ってるかは別として)。
前はそれさえも知らなかったんだから今はまだいい方なんだろう。
でも、未だに、感情がついてこない。
平易に言うと「しっくり来ない」。
だからちょっとでも自分に向かい風が来ると(たとえ微風でも)心が痛くなるのかな。
対処法はともかく原因は割とはっきりしている。
なんでも、自分は『自分と他人の境界があいまいなまま育ってしまった』人なのだという。
相手の言動の裏を読もうとしても、どうしても自分の経験や環境を下敷きにした想像しか出来なくて、「どうしてこうなの?自分ならこうはしないのに……」でつまずく。
相手が生きてきた人生は自分とまったく別物だという発想がない。知ってからもすぐには出てこなくて、後からじゃないと思い出せない。
自分の行動とその基点になっている自分の存在も、心の中では、うまく切り離せていないのかもしれない。だから意見への異議を自分への全否定ととらえているのだろう。
誰かのトラブルや不機嫌の原因をつい「自分のせい?」と考えることも原理は一緒らしい。
自分の行動と相手の事情を切り離して考えることが(意識しないと)できない、というあたり。
(何でも自分が悪いと言う人にも、否定される経験ばかり多かったとか、人のせいにして痛い目を見たとか、いろいろいるようですが。)
多くの人はそこまで安直にイコールで結ばないという。
他人には他人の事情があるし、経験も環境も好き嫌いも違うから、同じ事情を抱えていてもそれぞれが出す結論は違って当たり前。
だから自分の考えと違うことが起きても、ある程度は「そんなもんだろう」と受け流せるらしい。
普通は教えられなくても子どもの時から学習して、自然にそういう思考が身についてるもの……そう聞いたんですけど、本当ですか?
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性別:
非公開
自己紹介:
化屋月華堂(親サイト)&カフェ「パーティ」(子サイト)管理人。今のところ活動は後者の方が活発。
一応今は社会人なので控えめに動いてるつもりだが、その割に子供じみた言動も多々ある。自覚あり。
ちなみにブログ名は“カフェパにのめり込んで離れられなくなった人”を指す造語に由来。
あなたは大丈夫ですか?
一応今は社会人なので控えめに動いてるつもりだが、その割に子供じみた言動も多々ある。自覚あり。
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